PROFILE
杜康 潤(とこう・じゅん)
11月2日生まれ。マンガ家。
2007年、季刊ウンポコvol.10(新書館)にて、実家のお寺の日常とお坊さんの修行を描いたエッセイ・コミック「坊主DAYS」でデビュー。
主な作品に「坊主DAYS」「中国トツゲキ見聞録」(共に新書館)、「孔明のヨメ。」(芳文社)、「梨花の下で 李白・杜甫物語」(KADOKAWA/中経出版)などのほか、荒川弘との共著「三国志魂」(コーエーテクモゲームス)がある。



荒川弘先生が描く大人気の農業エッセイ・コミック「百姓貴族」第6巻の発売を記念して、ゲストご自身との関連に触れつつ「百姓貴族」の感想を語っていただくインタビュー企画!!
荒川先生とはなんと約四半世紀(!)のおつきあいになるというマンガ家・杜康潤先生の胸アツなインタビュー、後篇です!




———「百姓貴族」を初めて読んだ時は、どんな感想を持たれましたか?

まだまだ知らない事があったなあ、と思いました。
プライベートもそうだし、私も田舎で農家の方に囲まれているような地域で育ったんですけど、私の実家はお寺だったので、同級生がどんなところで生きて、どんな生活していたのか詳しくわかりませんでした。だけど「百姓貴族」を読んで、周辺の家の人たちが生きて来た道、これから行く道って、ああこういう世界だったんだな、と改めて思いました。
あと、国産の物を買うようになりました。学生時代にはお金をかなり切り詰めて本を買っていたので、どうしても食物は安さ優先だったんですけど、荒川さんの話を聞き、「百姓貴族」を読み、だんだん、できるだけ国産の物を買おうと思うようになりました。特に今だと被災地に近い所のものを買おうとか、それが応援になるんだったら尚更買おうとか、実際買って食べたら美味しいからリピーターになっちゃうとか。

———1巻に荒川先生が杜康先生たちと焼き肉に行くエピソードがありましたけど、その話では「私は焼き肉屋に行ったら必ず国産を食べます。それがニッポンのお百姓さんのプライド」というナレーションで締めていましたね。


焼き肉の美味しさを教えてくれたのが荒川さんです。
うちは焼き肉をしない家だったんですよ。あって鉄板焼き。野菜が多くてお肉がちょっと、みたいな。母が肉を好きじゃなかったっていうのもあるんですけど、今思うと寺だからですよね。
だけど上京した荒川さんと焼き肉に行って開眼しました。まずファーストインプレッション、焼き肉は美味しい。そして荒川さんがチョイスする肉が、やっぱり美味しい。知らない部位を紹介してくれるんです。焼き肉といえばカルビかロースかの時代に、ハラミを教えてくれたのは荒川さんですよ。こんなに楽しくて元気が出る食べ物だっていうのを体感したのは、うん、荒川さんのおかげ。
でも奉行のように押し付けるのではなく、アシスタントとして連れて行ってくれる時とか、みんながおなかいっぱい食べてくれたら満足だから好きに頼みなどーぞどーぞってざっくばらんな感じで、まさしく「大将」の風格でしたね。


———「百姓貴族」で好きな話を教えてください。

依田勉三の回が大好きです! 元々歴史が好きでっていうのもあるんですけど、その土地がどうやって作られてきたのかとか、人にどんな歴史があるのかとか、バッタの大群襲来で「また来た」のところとか、笑えないのに笑ってしまう。「もうやめて!! 勉三のライフはゼロよ!!」の荒川さんのツッコミとか(笑)。うちの田舎も災害の多い地域だったので、わかる、わかるよ!と。


死ぬほど笑ったのが、機械に巻き込まれて、ツナギとパンツもっていかれた回で、ちょっと帰ってこられなくなるくらい笑いました。また荒川さんの筆文字いいですよね。いつもカバーの折り返しに入っている文字とか、最後に載ってる文字とか、チョイスもいいし大好きで。あとパラパラマンガ、よくやりましたよね。やんちゃというか、こういう少年ぽいとこが残ってるんですよね。バカですよね(笑)、大好き!!! 
あと牛乳うまいの回、すごいわかります。仕事場にご実家から送られて来る低温殺菌牛乳に開眼しまして。それまで私は高温加熱殺菌のホモジナイザー(※組織や細胞などのサンプルを均等化・乳化・分散する器具)を通した牛乳メインで飲んでいたんですけど、荒川さんのご実家の牛乳を飲んだ時、なんか全然違う、え、脂肪の粒コロコロしてる、丸い、いい香り、なんだろうこれって聞いたら、ノンホモ牛乳だからだよって教えてくださいまして。まあこの目をむく二歳児の気持ちがめちゃめちゃわかりました。


荒川さんのご実家の牛乳を飲んで以来、各地の低温殺菌牛乳を高速バスでサービスエリア降りるたびに飲む癖がつきました。だいぶ美味しい思いをさせてもらっていますね、文字通り(笑)。焼き肉教えてもらい、国産野菜教えてもらい、牛乳教えてもらい……。あと十勝の豚丼も教えられましたね。美味しいものを教えてもらってばかりです。

———杜康先生はそもそも食べるのも作るのもお好きですものね。

実家がお寺っていうのもあって、食べ物の作られた経緯とか、目の前に料理がポンと出されたとしても、作ってくれた人の手間とか、料理がそこにあるまでの過程を思って食べようねというようなことが、禅宗の教えに入っているので、いただきますもごちそうさまも、あたりまえのように生活に根ざしていて。
そこはたぶん、荒川さんとすごい話が合ったところでもあります。お互いに「命をいただいているよね」っていう感覚がすごくあって。私の場合は、人の命の代わりにいただいたお布施で、私たち生きちゃってるんだよなと思うところがあったんですが、荒川さんが「私もそんなようなものだよ」というようなニュアンスのことを仰ったことがあったんです。でもその意味がわかったのは「百姓貴族」を読んでからでした。そうか、牛の命、作物の命、この人はそれを感じながら生きて来たんだなって。私が勝手に思ってるだけで、もしかしたらニュアンスが違うかもしれないんですけど。



———杜康先生ご自身は農業の経験は?

私は学校の農業体験くらいでほとんど経験がないんですが、お寺が貧乏な時代に、なんとか餓えないようにと寺の近くの空き地に作られた畑があって。そこで祖母が作ってくれる物を美味しく食べていたこともあり、農家の方に親しみを勝手に持っているのかもしれません。

———お坊さんになったお兄様は修行時代に農業や料理をやっていたのですか。

耕すのは……やってたのかしら。あんまりその話はしてなかったですね。
でも典座(てんぞ/僧堂の炊事係)で料理を作ったりしていたみたいです。そのおかげか、お腹空いたらひとりで勝手にチャーハン作って食べてたりしましたよ。
そうか、おすすめしておこう。全国のお嬢さん方、お坊さんは、特に禅宗系は、一通り家事ができますよ(笑)。

———5巻で荒川先生と一緒に中国に行かれていますが、これはプライベートですか。

あれは「獣神演武」(スクウェア・エニックス)の取材の時ですね。荒川さんがスタッフの皆に同じものを見ておいてほしいということで、プラン組みを頼まれました。古い城壁や街並が残っている平遥古城(へいようこじょう/中国山西省にある古い城郭都市)という世界遺産にメインを決めて、料理も庶民のものから宮廷料理まで全部行けるようなルートを一生懸命作りました。あとは懇意にしている旅行会社さんにお願いして、建築の基本を解説してくださる中国の建築学の学者の先生をお呼びしていただきました。でも、いらっしゃったのがその地域の一番偉い学者さんで慌ててしまいました。
あと、北京で宮廷料理を食べに行ったのですが、佛跳牆(ファッチューチョン)という「美味しんぼ」(花咲アキラ・雁屋哲 著/小学館)にも出てくるスープがありまして。

———修行中のお坊さんも匂いにつられて塀を飛び越えてくる、という究極のメニューのアレですね。

そうそう(笑)。荒川さんとはお互い「美味しんぼ」読者だったので意気込んで飲んでみたら、淡い味わいの層が重なっている感じで、実に奥深い。しかも翌日、お肌ツヤツヤになっていました。荒川さんは飾り包丁で彩られた野菜とかも興味深く見ていましたね。
あと荒川さんが反応していたのは、山西省太原のあたりの野菜。それこそ一般の平遥古城の市民が食べるような。中国の方が使うような食堂にスタッフ皆で行って適当に食べてみたら、シンプルな青菜炒めとかが本当に新鮮で味が濃くて美味しくて、絶賛していました。その近辺の人が作ったものなので流通のタイムラグも少ないんでしょうね。

———美味しい野菜がある反面、砂糖をふりかけた赤黒紫色のトウモロコシが売られて……。


あれは北京とか上海の都市部の話で、地方都市に行くと、その地域の新鮮なものがよく出回っていてちゃんと美味しいです。
でも今から思うと、トウモロコシが甘くないのって、当時の中国では意外と標準だったのかもしれなくて。私が雲南省をひとりで旅していた時に、藍染め工房のお姉さんが、「私のおやつ半分分けてあげる」ってトウモロコシを分けてくれたんですよ。飼料用のトウモロコシで全然甘くなかったんですけど、お姉さんは普通に食べていたので、甘くなくてもお金のあまりかからないおやつ、くらいの感覚だったかも。西太后も田舎に逃げた時にトウモロコシの粉を練って蒸したものを出されて食べたとか言われていたりするんで、甘くないトウモロコシで何かするっていうのは中国では割とスタンダードなのかもしれません。
そういえば、中国って都市間が離れているのでバスの移動距離が長く、アシスタントたちは今のうちに寝ておこうってトロンと落ちちゃっていることが多いんですけど、荒川さんだけは起きていて、興味深そうに畑を見てるんですよね。やっぱり観察する部分が元農家の方だなって。

———ということは杜康さんもお坊さんを見たら……。

萌えますね(笑)。だいたい寺の形とかお坊さんの衣とか、お経のリズムとかやっぱり聞いちゃいます。
同じように荒川さんも、畑を見れば、ここ何作ってるのかなとか、料理で出てくる野菜を見れば味見しつつ、これなんだろうとか、すごい楽しんでらっしゃる。目でも舌でも味わってらっしゃるなあと。

———その後、プライベートで台湾に行かれたときは?

鄭問(チェンウェン)先生の故宮博物館でやっていたマンガ展に、荒川さんともうひとりのマンガ家友達と一緒に行きました。その時はだいたい町歩きがメインでしたね。
ただ旅行の最中に北海道で地震がありまして、日本語の放送が入るホテルに泊まっておいてよかったなあと思いました。

———荒川先生と本当に密につきあっていらっしゃいますよね。

でも普段は全然会わないときは会わないんですよ。そんなにベタベタつるむわけではなく、だけどたまに会うと、いつものノリでうぉぉぉぉっ!と喋りまくる感じです。
貴重な出会いがここまで続いてくれて何よりというか、変わらないのがありがたいというか……もう出会ってから四半世紀くらい経ちますが、今でも荒川さんは「大将」です。気分的に。

———四半世紀のつきあいだとエピソードがつきませんね。

1巻でヒグマの大きさを知っているとツキノワグマには勝てそうな気がするって荒川さんが言っていたエピソードがありましたが、実際に交わした会話ですよ。いや勝てない勝てない!


6巻で常にクマ注意を意識していたってエピソードがあったんですけど、そういうのがもしかしたら荒川さんの生き方に反映されてるかもしれないです。私が想像できない世界が荒川さんの中で広がってそうですね。



———荒川先生は食うか食われるかという気持ちで生きて来たから、上京してクマに食われる心配がなくなって心の余裕が生まれ、より懐が深くなったのかもしれませんね。

「百姓貴族」が続いていけば荒川さんの深い所がもっと見えるのかもしれませんね。まだまだ知らないことが出てくるので、私も楽しみです。
そういえば3巻でキツネの供養の話がありましたが、臨済宗の儀式録にもキツネを供養するための唱えるべきお経のような文章が載っていました。あと馬頭観音さまも私の住んでいた地域にありまして、住んでいた場所が違えどいろいろ繋がってるのかもしれないですね。供養や感謝する気持ちは地続きだなあと「百姓貴族」を読んで思いました。

———「百姓貴族」ファンにメッセージをお願いいたします。

「百姓貴族」を入り口にして、自分の身の回りとか、食べている物の奥に誰が居るのかとか、どういう流れがあるのかとかを知ると、世の中あったまる気がします。スーパーにポンとある人参は、誰かが動かないと存在しないもので、お金があったって誰かが動ける環境を作って整えてなかったら、今そこにないんだということに、「百姓貴族」は説教臭くなく面白く読んでるうちに気づかせてくれる貴重な作品です。まだまだ先を知りたいので、もっと描いて欲しいです!

———最後に、杜康先生にとって荒川先生はどんな存在ですか。

うーん、なんだろう……。ひとつは戦友に近い何か。……戦友って言っちゃっていいのかな。いろいろ経験させてもらった部分では師匠であったり、バカな話をしている時はとことんバカな友達であったり。
師匠であり、戦友であり、友達であり……人生にもたらされた幸福のひとつ、とでも言っておきましょうか。うわー恥ずかしい!
……でも本音ほど恥ずかしいものなので、しょうがないですよね(笑)。

———正直なお気持ちということで、リードとして使わせていただきます。
どうもありがとうございました。


聞き手/ウィングス編集部

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