サイモン・フェキシマルの秘密事件簿

    KJ・チャールズ

第一章 コールドウェル家の亡霊



編集者への伝言

 親愛なるヘンリー
 過去二十年に(わた)って僕はサイモン・フェキシマルの友人、助手、そして記録係として『サイモン・フェキシマルの事件簿』を発表することで、この稀代の神秘学者(オカルティスト)の名声を広めてきた。
 君からは過去に何度も僕とサイモンの最初の出会い、知り合った時の顛末を聞かせて欲しいと頼まれていた。僕はこれまでいつだってその頼みを断ってきた。なぜならそれはありのままに語るには個人的過ぎる出来事であり、事実を曲げて伝えるにはあまりに大切な思い出だからだ。しかし、物語はすべからく語られるべきであることを、僕は誰よりも知っている。
 というわけで、ヘンリー、これがサイモン・フェキシマルと僕が出会った時の正確かつ完全な経緯だ。僕の死後、弁護士経由で君の許へ届くように手配をして、(のこ)していく。
 君の予想とはだいぶ異なっていることを保証するよ。


   ロバート・コールドウェル
   一九一四年九月




 友人たちはそろって合意してくれるが、僕という男は割と気楽な性格で、怒りっぽくもなければ怖がりでもない。そんなわけで、コールドウェル・プレースに滞在するようになった時には、おそらく狐か猫であろうと思われる夜に響く鳴き声を気にかけることはなかった(他に誰もいない僕の寝室の中で聞こえていたのだが)。あるいは近隣の人たちの夜の(むつ)(ごと)だと思われるくぐもった呻き声も、さほど問題にしなかった(屋敷はぽつんと建っていて、一マイル四方に隣家はなかったが)。
 とはいえ、壁が血を流し始めた時には少し行き過ぎだと感じた。
 ゴースト・ハンターのサイモン・フェキシマルはコールドウェル・プレースの重厚な玄関ホールに立っていた。亡くなった伯父から受け継いだ屋敷は荒廃していて、一緒に遺された財産だけではとても修復できない状態にあった。フェキシマル氏は室内を観察していた。僕は彼を観察していた。
 観察に値する男だった。背丈は中より少し高いくらいだが、とても広い肩幅と直立の姿勢で、ボクサーのような(たたず)まいだった。その顔はどちらかというと司祭のようだったが、信仰する宗教は現代のものではないように思われた。鎌だとか、儀礼用の短剣だとかを持っていそうな類だ。厳めしく、笑顔のない、宗教者のような風貌、そう僕は思った。かぎ鼻に、深くくぼんだ暗い両目の上に太い眉、青みがかった灰色の髪の毛。ただ、顔を見ると僕自身の二五歳よりいくつも年上には見えなかった。
 周りを見ながら向き直ったフェキシマル氏は両眉をひそめていた。
「コールドウェル・プレースに住んで長いのか、コールドウェルさん?」その声は甘美な深いバリトンだった。僕はその響きに震えそうになるのを堪えた。
「まだ六週間も経たない」応えて言った。「三ヵ月ほど前に伯父から相続したんです。今まで何年も空き家のままだったのは、この家に悪い評判があったからなんです。僕はそんな噂はくだらない迷信だと思ったし、ここを売らないといけないので、ひとつ十九世紀的な常識を持ち込んでやろうと思ってやってきた」二人そろって、壁に走る鈍い赤茶色の筋を見つめた。赤い血が流れ出て、渇いた痕だ。「でも今は、間違っていたことを認める」
 フェキシマルは頷いた。これまでに同じような物語の同じような始まりを何度も聞いてきたことは間違いない。「肖像画を見てもいいか?」
 僕はゴースト・ハンターを青の客間に案内し、そこにあるロウソクとランプをすべて灯した。夜が訪れて、暗い影を作らずとも雰囲気は十分に陰気だと思ったからだ。フェキシマル氏は部屋の中央に立ち、ゆっくりと体を回しながら部屋を確認した。僕はまたしてもその姿を見つめる機会を得て、力強い太ももとたくましい背中に目を見張った。幽霊狩りはどうやら抜群に健康な肉体を作るらしい。
 より魅力には欠けるものの、部屋自体にも眺める価値はあった。七十年前のスタイルの家具が配置され、ほこり避けのカバーが外され表面の汚れを掃ってあるものの、硬い背もたれの椅子はやはり色が褪せ、古めかしかった。寄木の床に敷物はなくむき出しだった。金箔の重い縁取りの、表面に染みのついた大きな鏡が一方の壁を支配していた。フェキシマルはそこに特に注目している様子だった。反対側の壁には数枚の家族の肖像が掛かっていた。この部屋に見に来たのはそのうちの一枚───その姿がこの屋敷の至る所に現れた人物のものだ。物陰に刻まれ、蜘蛛の糸に編まれ、とうとう血で壁に描かれることになった人物。何かの手がかりであることは間違いないように思えた。
「コールドウェル卿、ランドルフ」肖像画に向かって歩きながら僕は言った。フェキシマルが隣にやってきた。その体からは、どこかで嗅いだような不思議なスパイスの匂いがした。「二世紀ほど前の僕の先祖だ」
「君の聞いている話とは?」鋭い濃い色の目に厳しい表情を浮かべて、フェキシマルは肖像画を見つめていた。肖像の中の男はかすかな笑みを浮かべて視線を返していた。ハンサムな男で、目の色は僕と似たような緑だったが、僕よりずっと自信に満ちた貴族的な物腰で、過ぎし日の紳士たちの身だしなみだったカールした白い毛のかつらを被っていた。
「真実かどうかは保証できない」僕は話し始めた。「家族に伝わる話で、歴史書に書かれるような内容ではない。僕が聞いているのは、このランドルフは懲りない類の変人だったということ」
「その意味は?」
「男が好きだった」僕はちらりと相手に視線を向けた。フェキシマルはショックを受けたようにも、嫌悪を感じたようにも、そして驚いたようにさえ見えなかった。「相手は誰彼構わず、だったようで、()(てい)の少年から執事、借地人から隣人まで、無節操だったらしい」
 フェキシマルは改めて肖像画を見た。その視線は何か値踏みをしているようだった。
 不思議なことに、僕のような指向の男には同じ指向の男を嗅ぎ分ける勘のようなものが備わっていることが多い。特段の合図や、ヒント、意味ありげに触れたりすることなしに、ただ、のだ。僕にはその勘が備わっている。そのおかげで何度となく、襲われたり逮捕されたりすることを免れてきたし、今そのかすかな感覚が呼び起こされたことで、この厳格で、秘密めいた、力強いフェキシマル氏と僕との間には共通点があるのかもしれないと思い至った。
 呪われた屋敷にゴースト・ハンターと二人きりという状況で、その点を追及しようと思ったわけではなかったが。とはいえ、だ。
 フェキシマルの注意は依然肖像画に向けられていた。「どんな男だったか聞いているか? 嫌がる相手に無理強いするようなことはあったのか?」
「僕の聞いた限りでは、それはない」その点ではほっとしていた。「乱暴な男ではなかったと伝わっている。単に性的指向のはっきりした男で、好みが幅広く積極的だった、ということだ」
 フェキシマルの口元がわずかに動いた。笑ったらどんな顔になるのだろう、と僕は思った。笑うことがあるとしたら。
「残酷な死に方をしたそうだ」僕は続けた。「誰かとベッドにいる時に───男性だ───銃で撃たれた。犯人は捕まらず、裁かれもしなかった。おそらくスキャンダルを避けたのだろう。捨てられた恋人だったのか、これから捨てることになる恋人だったのか、本人の妻だったかもしれないし、隣人の妻だったかも……」
 フェキシマルが片手を上げた。「言いたいことはわかった。きちんと埋葬されたのか?」
「急ぎ仕事だったと思う。その、最中で殺されたのだし、当時の法律は今よりも厳しかった」
「同情しているように聞こえるな」
「もちろんだ。気の毒に、殺されたんだぞ」
「俺の顧客のほとんどは、悲鳴が聞こえてくるようになった時点で同情する能力を無くしてしまうことが多い」
 僕は肩をすくめた。亡くなったコールドウェル卿には同志としての感情があったが、それを認めるのは危険なように思えた。「僕が彼にここにいて欲しくないのと同じくらい、彼もここにいたくないんじゃないかと思うよ」
 フェキシマルの暗い色の目が明らかに賛同した様子で僕を見た。「その通りだ。彼を解放する方法を見つけることができれば、それは彼のためにも君のためにもなる」フェキシマルは再び肖像画を見た。「もう一度聞かせてくれ。具体的に起こっているのは───?」
「壁が血を流す。もう何度も起きた。夜の悲鳴。その他の音」
「どんな音だ?」
「呻き声。たくさんの呻き声」
「苦しみの声?」
「えっと、正確にはそうではないな」顔が赤くなるのがわかった。
「ではどういう声だ?」フェキシマルが訊いた。
「快楽の」
「男性の快楽の声?」
「その通りだ」そう応えて、僕がどれだけ男性の快楽の声についてよく知っているか疑われるのではないかという思いがよぎった。
 フェキシマルにその様子はなく、別方向を向いて部屋を観察していた。「なるほど」
「フェキシマルさん、何とかできると思うか?」僕は訊ねた。「僕にはあなたがどうやって何をするのかは知らない。あなたにはアレ───彼───を追い出すことができるのか?」
 ゴースト・ハンターはそこで僕の方に体を向けた。太い眉の下の目つきは険しかった。その重々しい視線でじっくりと見つめられる対象になって、僕は体に明確な震えを覚えた。「何かを追い出すという話ではないんだ、コールドウェルさん。ここで悪が為され、苦痛が負わされ、未だに閉じていない円環が開いた。物語が終わった時にこそ、その方法はさておき、呪いは解ける」
「僕は新聞記者だ」思わず口走った。なぜなら相手の低く威厳のある声と咎めるような態度が僕の中に不適切な感覚を呼び起こしていたからだ。「物語についてはよく知っている。話には終わりがあるべきだ。終わりのない物語は読者にとって納得がいかないものだ」
「主役にとってはさらに悪い」ゴースト・ハンターはじっと僕を見た。そこにさらに体を熱くするつながりを僕は感じた。その(くら)い目には、何らかの気づき、僕を一人の男として認識した形跡すらなかったか? はっきりとはわからなかった。「だから俺は終わりを見つけて、呪いを終わらせよう。それは俺一人でやる仕事なので、君には家を出てここから離れていてもらいたい」
 それは至極残念だった。新聞記者としての僕は好奇心の塊で、ゴースト・ハンターの活躍を間近で見られるのを楽しみにしていたのだ。男としての僕は、神経の隅々にまで濃いビロードのようにまとわりつくその低い声をもっと聞いていたかった。
「あなたを一人で置いていくのは気が引ける」僕は言った。「呪いがなくても居心地のいい場所ではない上に、霊の主張は日に日に強くなって、怒りを増しているように思う。僕だったら一人でここにいたくない。あなたの身が心配だ。僕では助けにならないか? そもそもこの幽霊は僕の一族の責任なんだし」
「一人で仕事をするのに慣れている」
「とはいっても、誰かと一緒にいる方がいいこともあるんじゃないか?」
 するとフェキシマルは僕に向かって、ほんのかすかに、慣れないことをしているかのように、笑いかけた。厳しい顔に浮かんだその表情は思いがけず温かだった。「ありがとう、コールドウェルさん。身を案じてもらえるのは珍しいことだ。しかしこれは俺の職業で、守りたい秘密もある」
 譲るつもりがほぼないことが伝わってきたので、僕はその意志に従うことにした。実際、悲鳴で眠りから起こされて壁からぼこぼこ血が流れ出るのを見る経験はとても楽しめたものではなかったし、今夜古い屋敷の中は不安になるほど寒かった。確かに別の場所へ行くのが得策だろう。
「わかった、あなたがそこまで言うのなら。あなたのために火を強くしてから行くよ」そう言いながら暖炉の方を見て、僕は瞬きをした。炎は既に赤く燃え盛っていた。室内の凍ったような空気にも拘わらず、(こう)(こう)と。「おかしいな、ずいぶんとよく燃えている。どうしてここはこんなに寒いんだろうか」
 フェキシマルが不意に体の向きを変えた。同時に、火が消えた。今まで赤赤と燃えていたというのに、次の瞬間、黒く冷たい、ぬくもりを失った炭の塊が、蒸気を上げることもなく横たわっていた。
 状況が信じられず、僕は目を離せなかった。フェキシマルが緊迫した口調で言った。「いくんだ、コールドウェル。今すぐ。走って去れ」
 正直に認める、僕はその場を脱兎のごとく扉に向かって走り、ハンドルを強く引いた。何度も。さらに何度も。
「鍵がかかっている」僕は言った。孤立して建つ屋敷の中には他に誰もいなかった。扉が開かなくなることは今までなかった。でも、どうあっても開かない。
 フェキシマルがつかつかとやってきた。ハンドルを引く。
「開かない」同意して言った。「ただし、ここに鍵穴はないがな」
 その通りだった。にも拘わらず、扉は間違いなく閉じていて、動く気配はなかった。暖炉の炎は消えていて、取り乱して部屋を見回すと、暗闇の中の小さな防波堤たるロウソクの炎が、一つまた一つと眼前で消えていった。
 僕は小さな悲鳴を上げたかもしれない。
 フェキシマルは持参した黒いグラッドストーン・バッグを探っていた。中から砂と渇いた植物らしきものが詰まったずんぐりとした広口のガラス瓶を取り出した。
「ここに来い。止まって。そのままで」僕は鏡から数フィートのところで言われるがままに立ち止まり、恐れ困惑したまま、ゴースト・ハンターが僕の足元に燭台を一基置いて、素早い動きで、僕の周りに円を描くように瓶の中身を垂らしていくのを見つめた。白い砂の中に針やローズマリーの欠片が混じっているのが見えた。
「これで君は安全なはずだ。どんなことがあっても、その円の中から出たり、線を壊したりするな。じっとして、恐れずにいろ。何を見ても」再度、かすかな笑顔を見せた。「俺を信じろ。君を守る」
 僕は素直に頷いた。「でも、君の方は?」
「俺は慣れている」そういうとフェキシマルは上着を脱いだ。
 こんなどうしようもない状況の中でも、僕は見ずにはいられなかった。砂の環の内側のものを除くと、まだ灯っているロウソクは数本だけで、サイモン・フェキシマルが服を脱ぐのを見ている間に、それらもかき消されていった。飾りのない濃い色のウェストコートを脱ぎ、ネクタイを投げ去り、白いシャツのボタンを外した。
 僕は息を呑んだ。「何をしている?」
 答えはなかった。その必要もなかった。シャツを脱ぎ去ると、(おの)ずと答えがわかったからだ。
 その体は文字で覆われていた。黒と赤のインクで書かれ、両方の手首からたくましい腕を通り、広く力強い両肩から胸にかけて。僕に理解のできる言語ではなかったが、間違いなく文字が書かれていて……それは今も書かれ続けていた。
 僕は口をあんぐりと開けた。蜘蛛の巣状になったり、円環状になったりする部分もあればギザギザな部分もあるそれらの線は、静かにメッセージを伝えようとするかのように、皮膚の上に刻まれ続けていた。
「いったい───」僕はそれ以上言えなかった。
「物語が自らを書いているんだ」平静な声だった。「俺はそのページの役割だ」
「あ……」
「シーっ」言い添えた声はやさしげだった。「心配するな」
 言う方は簡単だ。
 上半身裸の男は、両手を顔の前で奇妙な、まるで祈っているかのような形にあわせて立っていた。暗い部屋の中で一分かそこら静止している間、僕は文字が下半身のどこまで書かれているのかを想像せずにはいられなかった。その力強い太ももや尻、さらに禁断の域に何が書かれているのか。
 男は知らない言語で何か一文をささやくと、鏡に向かって歩き、その中を見つめた。僕も視線を追うと、見えたものに思わず罵り言葉が口をついて出た。
 鏡の中では、サイモン・フェキシマルの体に書かれていたのは英語だった。怒ったような巨大な大文字で、それは肉体に書かれたものとは似ても似つかなかった。〝殺された〟鏡に映った大文字は訴え、何度も何度も素早く書かれては皮膚の中にしみこんでいった。〝不当だ。ジェームス。ジェームス。計画。憎い。未完成。まだ終わってない。ジェームス。私生児〟
「彼には私生児(バスタード)がいたのか?」かたずを呑んで訊ねた。
「これはおそらく───悪口の感情表現だろう」フェキシマルがあえぎながら言い、僕はその顔が苦痛に歪んでいるのを見て取った。「怒って───いる」
 そこで悲鳴が始まった。あまりに大きく突然だったので、僕はその場で兎のように飛び上がった。かん高い悲鳴はさらに大きくなり、その音が僕たちを渦巻のように囲んだ。フェキシマルは何事かを唱えながら、その力に(あらが)うように頭を下げた。僕は円陣の中で何も感じることはなかった。悲鳴の下に、例の呻き声も聞こえてきて、さらに恐ろしい笑い声が響いた。快楽と苦痛と狂気とが混じりあったあの音ほど気味の悪いものを、僕は聞いたことがない。
 フェキシマルはかなり努力をしている様子で真っすぐ立っていた。肌の上の文字は依然として激しく、意味不明のこんがらがった糸のようだった。鏡の中の文字ははっきりと読むことができ、古いスタイルの書き文字で現れた文章に、僕はあっけにとられた。〝ファックしろモノをしゃぶれ穴を広げて受け入れろ〟
 時と場所が違っていれば、僕はこうした文章表現は嫌いではないが、それが男の皮膚の上に書かれているとなると話は別だ。ひわいな言葉から視線を外すと、反対側の壁にかかった肖像画が映っているのが目に入った。
 僕の先祖、コールドウェル卿ランドルフが、僕に笑いかけていた。描かれたかすかな微笑みではなく、大きな、好色な笑い。鏡の中の肖像画を見つめていると、ランドルフは唇を舐めた。
「フェキシマル!」指さしながら叫ぶと、肖像画は応えるように片手を上げて僕の方を指した。怯えきった僕は後退りし、動いた踵が円陣を壊した。
 あっという間に嵐に飲み込まれた。不思議な風が体の周りに吹いていた。悲鳴は十倍の大きさになり、まるでのこぎり状の葉の植物が当たっているかのように、神経と皮膚にこすりつけられた。奇妙な力にもてあそばれ、耳元と頭の中で叫び声が響いた。僕は恐怖のあまり悲鳴を上げたが、フェキシマルの力強い両腕が僕を引き寄せ、体の陰で守るように抱えられ、この世ならぬノイズの中、耳元で叫ぶ声が聞こえた。「静かに、ロバート。大丈夫だ。俺が君の面倒を見る」
 そして、すべてが止まった。
 二人で暗い部屋の中に立ち、僕はゴースト・ハンターの体の前で動かないようにしっかりと抱えられ、その胸が僕の背中に押しつけられていた。超自然的な寒さは去っていた。静けさが耳の中で鳴り響いた。
「君がやったのか?」僕は囁いた。
「違う」フェキシマルが低い声で言った。
 すると、またしても笑い声が聞こえた。今度はクスクスと、面白がるような笑い。と共に、今回は密やかに、呻き声が聞こえ始めた。小さなため息や肉体的快楽のよがり声。フェキシマルは裸のたくましい片腕を僕の首に回し、もう片方の腕は僕の腰の回りで乱暴なほど体を密着させていた。僕は吐き気がするほど純粋な恐怖を感じているのにも拘わらず、自分でも驚くべきことに下着の中のモノが硬くなっていくのを認識した。
 狂気の沙汰だ、僕は思ったが、まるで心と体が別々になったかのようだった。僕は恐怖に震え、混乱し、命あるいは魂の危険を感じて逃げ出したいと思っていたのに、召喚された僕の分身は、どうしても応じたいと願っているかのようだった。
 激しい呻きや唸り声を、僕は耳で聞くというよりも、感じた。見たこともない恋人たちの顔や体が次々と頭に浮かんだ。僕の肌はそこには存在しない指の感触に発情した。恐怖と(たかぶ)り、どちらとも言えない感覚の中で僕は叫び声を上げ、サイモン・フェキシマルが大声で何か言うのを聞いた。
 苦労して経験を積んだ今となれば、その声が唱えていたのはサーマー儀式の第三行であることがわかる。フェキシマルが同志のゴースト・ハンター、カーナッキと共に苦労して調べ上げたものだ。その時の僕にわかったのは、喉から発せられる低い声で唱えられる不思議な言葉が異教の銅鑼(どら)の音のように響き、先ほどロウソクの火が消えたのと同じように、感覚の集中砲火がふっとやんだことだ。
 空気を求めて僕は裸の胸にもたれかかった。相変わらず後ろからきつく抱きしめられたままだ。両脚が震えていたが、僕の分身はテントのポールのように硬かった。
 自分の尻に押しつけられた硬く長いものを感じて、フェキシマルも同じ状態であることがわかった。
「アレが何を求めているのか、分かった気がする」僕は囁いた。
「俺もだ」その声は緊張していた。「力が強過ぎて……制御するには君を守りながらではできない。もう少しなら堪えられる。君は窓に走るんだ。破壊して、外へ出ろ。そうでないと……」
「そうでないと、何?」
 息が熱く僕の耳にかかった。「クソ、君にもアレが何を欲しているかわかっているはずだ。はっきりと感じる。古くて、とても力が強く、もう入り込んでいる。霊が生者を操るのは簡単だ。もしその者たちが……」ゴースト・ハンターは言いよどんだ。
「同じ欲望を共有していたら?」僕は訊ねた。
 僕をその体に強く押しつけたまま、男は圧倒的な静けさの中で立ち尽くしていた。そして小さく囁いた。とてもやさしく、とても低い声で。「俺たちを襲いに来る。君は本当に逃げるべきだ」
 僕は途方に暮れて、恐ろしさに震えていた。彼に触って欲しい、そしてそれ以上のこともして欲しい。呻き声が再び聞こえ、大きくなりつつあった。こんな狂気の館に人を一人で置いてはいけない。
「邪悪なものなのか? アレが求めていることは?」僕は息を切らしながら言った。
「いや。ただ怒っていて……裏切られた気持ちでいる。孤独。欲求不満。欲しがっているのは、欲求の充足だ」
「それは僕も同じ」僕はもたれて頭を彼の肩に乗せた。窮屈なズボンに閉じ込められた僕の分身は上に外に、飛び出たがっていた。
「ロバート……君はまだ逃げられる」かすれ声だった。
「いやだ」
「手加減はできないぞ」その声には明らかな警告と、さらに明らかな欲望が含まれていた。
「お願いだ。サイモン。お願い」
 フェキシマル───サイモン───は大きく震えるように一呼吸した。そして僕の腰にあった片手を下方へとずらし、昂りの上をこすると同時に自身の腰に僕を引き寄せ、自らの硬さに押しつけた。もう片方の腕は前から両肩に回され、喉に押しつけられた前腕の力が強まった。
 僕はそこで、呪われた家の中で、囚われの身で固定され、片腕で首を押さえられたままもう片方の手でズボンのボタンを外された。
 分身が解放され、僕は大きな呻き声をあげた。サイモンは満足げに小さく息を吐き、それを手に取り、先端を親指でこすり、既にそこに染みていた湿り気を広げた。僕があからさまに誘うように腰を押しつけると、ズボンと下着が一気に引き下ろされ、垂れたシャツの裾が横へ払われた。
(ひざまず)け」そう命令されて、僕は膝をつこうとしたが、喉の前にかけられた前腕が邪魔になり、バランスをとるか退けようとして僕はその腕を掴んだが、一瞬サイモンの腕にひっかかるような形で宙ぶらりんになった。
 この雄牛のように強い男が、僕をファックしようとしている。
 僕が情けない悲鳴を上げると、力が緩んで膝をつくことができた。彼の眼前に、従順に。周りを見回したり、鏡の中を見たりすることはしなかった。筋骨たくましい肉体に今どんな文字が浮かんでいるのか、見るのが怖かった。
 サイモンは僕の首を離すことなく、長い手を鞄に伸ばした。中を探って小さな瓶を取り出すと、片手で蓋を開けた。嗅いだことのない香水、アランビアンナイトを連想させるような香りがした。
 それを自らのモノに擦り付けて準備をしているのだ。
 僕はさらに前屈みになって手を床につこうとしたが、それは許されなかった。サイモンの指が僕の尻の割れ目の間を滑り、膝で両脚を開かされ、自由な方の手が僕の腰の位置を変えると、僕の入り口に男根が突き入れられた。

--続きは本編で--

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