夜が明けるなら
ヘル・オア・ハイウォーター3
S・E・ジェイクス
■1
闇の中で目が開いた瞬間、何が起きているのかプロフェットにはよくわかっていた。
視線の先で、寝室の闇がより集まってむき出しのコンクリートに変わっていく。窓もベッドも消え、ただの監房になっていく。プロフェットを閉じこめて。
ねじれたシーツ。マットレスにうつ伏せに横たわって、動けない。腕も足も自由だとわかっていたし、くり返し己に言い聞かせもしたが、どうしようもない。フラッシュバックの渦が、すべてを巻きこんでいく。
プロフェットも今はただ流される。逃げ道はない、どれだけ抗っても。
「畜生が」
呟きは壁にはね返った。
ほぼ十一年前、この監房で目ざめて、まったく同じ言葉を呟いたのだった。テロリストから救い出された筈が、そのままCIAの手に落ちただけだと悟った瞬間。そして次の地獄めぐりへの心の準備をした。どちみち、プロフェットの辞書の中ではCIAは善玉なんぞではない。
フラッシュバックの中でも珍しいやつが来たものだが、今日、予感はあった——目の診察を受けた日はそうなのだ。普段より激しいトレーニングで少しは安らかに眠れるかと望みをかけたが、どうやら過去の亡霊はちょいと顔を出していくことに決めたらしい。
腹に吐き気が渦巻く。かつて——肩ごしに、そこに立つ黒い野戦服姿の男を見てまばたきしたあの時のように。あの時は、顔を床につけて冷たいコンクリートにつながれていた。今、シュッとホースがきしむ音がして冷水を浴びせられると、現実ではないとわかっていても、針が刺さるように冷たいしぶきが肌に散った。
だがあの時のプロフェットは、すっかり麻痺していた。ジョンの死もハルの死も、作戦がぶっ潰れたことも信じられず。ほかの隊員がどうなったのかもわからなかったが、聞きはしなかった。聞けばあいつらにも狙いが向くだけだ。それに大体、誰もプロフェットから話を聞こうともしなかった。こいつらはただプロフェットの心を折ろうとしている。
恐怖、怒り、絶望と汗の混じった臭いに圧倒されかかる。こんなところまでがと、驚くようなところが痛んだ。水が肌を滴り落ち、野戦服のズボンを濡らし、身じろぐたびにコンクリートに擦れた
認識票が胸にくいこんだ。
アザルに捕らえられた時、ドッグタグはテロリストに奪われた。ご丁寧にも、CIAの誰かが見つけ出してプロフェットの首に戻してくれたのだ。
もうこの先、二度と身につける気はない。
いい加減にしろ——目を覚ませ。これは現実じゃない。
なのに、肩ごしに、ランシングが監房に入ってくるところが見えた。男は扉の鍵を閉める。手をのばして、監視カメラと廊下のライトを切る。ひどく静かだった。この四日間よりもはるかに——そう、プロフェットは分を数え、時間を数えて、CIAからこの腐った場所にどれだけ長く閉じこめられているのか把握していた。ジョンが運転するハンヴィーに銃弾がぶちこまれてからどれだけ経つかを。ハルをこの手で殺してから、どれだけ経つかを……ハルとハルの持つ核爆弾の専門知識がテロリストの手に落ちるのを防ぐために。
「ジョンはどこだ?」
ランシングがたずねた。
顔を戻し、床に額をつけ、プロフェットは同じやりとりをくり返すまいとする。
「
軍法務官を呼べよ」
「何か要求できる立場か」
ランシングがのしかかり、その膝でプロフェットの膝を床のコンクリートへめりこませる。プロフェットは膝を開かれ、足首を鎖で床に固定されていた。誰も蹴り殺せないように。
ランシングは、プロフェットの裂けた野戦服のズボンに手をかけ、せせら笑った。
「お前と、お前のオトコの計画だったんだろう?」
CIAの手に落ちたこの数日、もう散々聞かれた。どうやらランシングは、プロフェットがアザルとつるんでいたと思っているらしい。おまけに現場には一つの死体もなく、それこそジョンもアザルも、ハルの死体すら見つからないときては、プロフェットは——そしてジョンも——どこから見ても有罪というわけだ。
アザルは死んだ。その点については、プロフェットは疑う余地なく言いきれる。だがジョンは……?
肩ごしに目を向けた。
「自分が捕まる計画なんか立てるかよ。俺としちゃ、あれは罠だったと思うね」投げやりに言う。「大体お前はあの作戦についてどんくらいよく知ってんだっけ?」
「このクソッたれのクズ野郎が」
ランシングがののしる。今回の作戦は頭から終わりまで、そもそもこのランシングの指揮だったのだ。
無駄な抵抗でランシングを楽しませてやるものかと、プロフェットは動かない。ランシングが自分のズボンを下ろす音が聞こえると、やっと無関心な目を背後に向けた。
「ちゃんと勃つのかよ?」
プロフェットの顔をコンクリートの床へ叩きつけ、ランシングが背にのしかかってくる。プロフェットを蹂躙しながら絶え間なく脅しを浴びせ、彼の人生すべてを叩きつぶしてやると並べ立てた。
「お前が人生で誰かに出会ったら? そいつを消してやる。隊の仲間たちみんな、犬を狩るみたいに狩り出して、お前と接触したとわかった瞬間にぶち殺す。お前の家族も、お前が組むどのパートナーもズタズタにしてやる——仕事だろうがそれ以外の相手だろうが。てめえは俺のキャリアで一番の大仕事をぶち壊しにしやがったんだ、償ってもらうぞ。てめえが俺の前にジョンを引きずってくるまでな」
その脅しをランシングが実行するような真似はさせなかったが、それでもプロフェットは、人生からランシングの影を拭い去ることはできなかった。次から次へとパートナーを変え、隊の仲間とも最小限のコンタクトしか取らず……そして一夜の行きずりを除けば、どんな相手も作らなかった。トムまでは。
今、自分の部屋のベッドの上で、プロフェットは目をきつくとじ、己に言い聞かせる。これは現実じゃない、と。もう、この瞬間にも目が覚めると。
何があろうと、ランシングをトムに近づけやしないと。
それを思うと今にも過呼吸に陥りそうだ。悪態をつく。祈った。
やがて、やっとランシングが絶頂を迎えられないままプロフェットから己を引き抜く——まあ少なくともコンドームは装着している。言い返しも抗いもしないプロフェット、イケないランシング——まるでプロフェットは自分が優位を取ったかのように感じるが、結局は、主導権などない。踏みにじられているのは彼だ。
だがそれもこの数時間後、尋問中、プロフェットがすんでのところでランシングを殺しそうになるまでのことだ。一連の出来事が監視カメラに撮られ、映像がCIA内に出回り、プロフェットの悪名を轟かせるまで……そのせいで、ランシングにはプロフェットを殺せなくなるまで。
あの映像が、プロフェットをお尋ね者にした——そしてCIAいわく、引く手あまたの工作員に。
そしてプロフェットは、この密室でランシングにされたことを、誰にも語らなかった。だが二人の間に、それは常に横たわっていた。まあランシングにしてみりゃ尋問室でプロフェットにやられたことのほうがはるかに凶悪なのだろう、けっ、プロフェットとしてもそれで上等。
少なくとも、そう自分に思いこませてきた。こんな夜以外は。
ランシングの重みが体の上から去ると、後はもう己に、フラッシュバックから脱け出すよう念じるだけだ。もういいだろ、プロフェット……現実じゃない……目を開けてまわりを見ろ——。
目を開けて見るがいい。まだそんなことができるうちに。いつかは、それも——。
「クソが」
己を罵った。無理に頭を上げ、まばたきして、監房が自分の部屋へと戻っていくのを待つ。両手を動かした。起き上がる。着ているのはスウェットで、ボロボロの戦闘服ではない。首にかかる認識票もない。体が激しく震えていた。ベッドの端のブランケットをつかみに動いた時、窓枠に座って外の闇を見つめている人影に気付いた。
フラッシュバックには終わりがない。
「とっとと失せやがれ」とプロフェットはうなった。
「俺を呼び戻しつづけてんのはてめえだろうがよ、プロフ」
ジョンが答えた。
ジョン・モース。彼の親友、初恋、
SEALsの仲間。プロフェットとともに捕らえられた男。プロフェットが口を割らなかったせいで撃ち殺された筈の男。テロリストたちのリーダーかもしれない、そうじゃないかもしれない男。
その失踪によって、プロフェットの人生を変えた男。どんな形であれ。
その生存を、プロフェットがかたくなに信じる男。揺るがぬ証拠をこの目で見るまでは。ここまで死の証拠はゼロ。やってくるジョンの幽霊以外は。これが意味するのはジョンの死ではなくプロフェットのPTSDだけだ。
だが、畜生が——目の前の男はプロフェットと変わらずリアルに見えた。砂漠用の戦闘服をまとって。最後にプロフェットが見た時のまま。日焼けして。物憂げに。プロフェットを見ている。
「お前が俺を呼び戻してんだよ」
「クソッたれが。お祓いでもしに行けってか」
「そんなの効くかよ」
プロフェットは疲れた溜息をついた。
「ならオススメは何だ、お利口ちゃん?」
「捨てろ。もう解放しろ」ジョンはそう告げる。「でないといつか死ぬぞ、お前」
プロフェットはジョンに背を向けた。
「それならそれでいいさ」
「この強情が。もう俺は手遅れだ。お前はまだ間に合う。やめろ、プロフ。もう……俺たちの思い出のために。もうやめろ」
何か引っつかんで亡霊に投げつけてやろうとくるりと振り向き、プロフェットは自分が一人になっていたのに気付いた。
——お前はずっと一人だろ。
窓の開閉音を聞きながら、プロフェットは今の幻覚が目の病であるかのように両目をこすった。
ジョンが座っていた場所を見つめた時、ドアノブがガチャッと鳴る音が聞こえた。その音はひどく低く、そのくせうす汚れた記憶のこだまのような響きで、寝室が監獄へ逆戻りしていくわけではないと悟るまで数秒かかった。
座ったまま、音を聞き分けようとする……一つは寝室の窓の外から、もう一つは家の中から、ドアのきしみ、窓の外のドンという何かの音……。
悪態をつき、プロフェットはベッドから出た。本棚に、洋服ダンスに手をすべらせ、自室だと己を納得させる。向き直り、窓の外へ目をやった。
ジョンの姿はなし。それでも体が震えていた。
何かが迫っている。プロフェットの人生に。トムが、彼とランシングのあの映像を引っさげて現れた時から——まさしく予兆——わかっていた。
また、カチャカチャッと音が聞こえる。フラッシュバックで過敏になっているだけかもしれないが、そうは思えない。本当にそこに誰かいるなら、そいつはわざわざモーションセンサーをかわして来たのだ。ドアの方へ向かったが、まだ体がたよりなく、糖蜜の中でも泳いでいるかのようだった。
玄関先へ出ていったところで、タックルをくらってバランスを崩したが、床へ叩きつけられる寸前に身をひねって相手を下敷きに——。
トミー。
トミーが、プロフェットの体を素早く返し、組み敷いて、つかんだ両手首を頭上の床へ押さえつける。トミーが、プロフェットの悪態や思考より早くキスを仕掛け、すべての熱をこめた痛むほどのキスの中、これからの展開をプロフェットに告げてくる。
こんな宣言なら大歓迎だ。プロフェットを押さえつけてすべて大丈夫だと教えてほしい。この男ならそれができる。それでもプロフェットは抗うのをやめたりはしない。感覚は磨いておきたいし、あっさりこいつの思い通りになってやるものか——ひけらかすようにすべてのセキュリティを抜けてきた、このフーディーニ野郎に。
だがはね起きようとしたプロフェットにトムが体重をかけ、体勢をうまく使ってプロフェットを床へ押さえこむ。プロフェットの両腿を膝ではさみ、締めつけてきた。
「どうせすぐ俺に脚開いてほしくなるクセによ」
キスをほどいて耳朶を嚙むのに熱中しはじめたトムへ、プロフェットは呟いた。
「ああ、俺のために脚開いてくれるんだろ?」
トムは母音を甘ったるく引きずり、熱い息をプロフェットの頬にくぐもらせ、腰をゆっくり、規則的に揺すって二人の屹立を擦り合わせている。
「畜生、イイな、これ——」
「クソ野郎が」プロフェットはうなる。トムのずしりとした重みで床へ留められて。「練習してきやがったな」
「格闘戦の、それともファックの?」
プロフェットの両手首をがっちりとひとまとめにつかみ、トムはもう片手をスウェットの前にのばしてくる。
「俺が知るかよ」
だが戦いもファックもトムはいつもうまい。プロフェットがこの男に教えてやりたいのは、それより先のことだ。
じろりと彼を眺め回したトムの目つきは獰猛としか言いようのないもので、その濃密さにプロフェットの体が震える。
「そうだな、お前が俺の下で倒れてるからには、ひとつはもう決着したな。次に、お前のズボンが下がってるからには……」
トムの手がプロフェットの内腿を、熱く、図々しく這う。指関節の背で穴を押されて、プロフェットは呻きを殺そうとした。
「な? すぐ、俺のを挿れてやるよ」
プロフェットの脚がさらに開いて、動きを邪魔するトムの両膝をぐいと押す。
「ああ、それでいい……受け入れろ」
トムにさとされて、クソくらえと言おうにももう無理だった。トムの指が入ってきた今、この瞬間は。数回ひねられて、体を開かれ、性感を擦られると、プロフェットはトムの動きに合わせて腰を押し上げていた。
「いいね。それが見たかった」
「いいねとか言ってんじゃねえ、てめえ」
プロフェットはうなったが、その声は熱がむき出しで、感じているのがあからさまだ。
トムが指を足し、ひねって、プロフェットから屈服の呻きを引きずり出す。敏感な場所をかすめる指先の快感に、肌がぶるっと震えた。プロフェットの両腕は頭上にのびたまま、トムの拘束を振りほどこうともしていない。行為が終わる頃にはケツに床のラグの痕がついているだろうが、かまうか。トムがいる。ここに。帰ってきたのだ。無事に——。
今は、プロフェットもそうだ。
「来いよ——自分で動け」
うながされ、プロフェットはリズムに合わせて腰を揺する。トムに満たされ、焦らされ、おかしくなるほど——。
トムの囁きは甘いくらいだった。
「マジでいいよな、お前が俺に言われた通りにして、与えられるものだけに溺れて……お前を嚙んで、ファックしてやるよ。俺の名を叫ばせてやる、手始めにな。全部忘れさせてやるよ、俺のこと以外……お前にしてやりたいことが山ほどある」
「なら、やれよ」プロフェットは自制するより早く喘いでいた。「やってくれ、トミー……お前が要るんだ、お前にはわからねえくらい……」
だが、たとえ理由はわからなくとも、トムには伝わっていた。トムはプロフェットの肩に歯を立て、それから体を起こしてジーンズを下ろし、蹴り脱いだ。靴は、プロフェットにタックルしてくる前にもう脱いである。ここまで計画済みということだ。
もしトムがもう少し早く来ていたら——フラッシュバックから抜け出せないうちに……。
乳首を嚙まれて、プロフェットの体がビクッとはねた。集中しろという、トムからの警告。喜んで。視線をとばして、トムのペニスに梯子のように並んだバーベルピアスを見た——ここまで勃起していると、なおのこと見事な眺めだ。太腿をそっと押し広げられ、プロフェットは片足をトムのふくらはぎにひっかける。ファックさせてやる気満々で。
「残念、お前の思う通りにできると思うな」
トムが言い放つ。返事をできる前に、プロフェットはごろりと横倒しにされた。後ろへ回りこんだトムが太腿の間に膝を割り入れ、体勢を作る。その間、プロフェットは無為にラグを引っつかんでいた。
「まだイクなよ」
その命令に従うのには全力が要った。トムの屹立が激しく、ぐいと突きこまれてきて、息が奪われる。そして、性感を突かれたプロフェットは喜んで敗北を受け入れ、胸と腹に精液をぶちまけていた。呻き、トムのものを締めつける。悪態を吐き散らすトムも絶頂をこらえているのがわかる。
トムが荒々しくプロフェットの尻を叩いた。二回。
「しょうがねえだろうが」プロフェットは呻いた。頬がラグに擦れる。「もう一回ヤれるぞ。さっさとしろ」
「この野郎。こっちも二回……飛行機の中でしごいてきたんだよ……これのために」
トムがやっと言葉をつなぐ。
「来る前にジェルまで塗ってきたってか」
体の内側にトムの脈動を感じる。プロフェットのペニスも半ば勃っていた。
「計画的な性格なんでな」
トムは腰を揺すり、陰嚢までプロフェットの尻に押しつける。プロフェットは、これ以上深くくわえこめるかのようにトムに体を押しつけようとしたが、トムが小さく笑って腰を引く。じっくり、濃密に愉しむ気だ。
トムの意識のすべてがプロフェットに向けられている。その手でプロフェットを押さえつけては、肌を愛撫し、また押さえこむ。所有するような、奪うような手。痕が残るほどの。そういうのが好きなのはトムのほうだが、今ならプロフェットにも、この絡み合いの後にまで肌にトムが残る楽しみがわかる。
ふたたびつながり合い、ふたたびたしかめ合う——離れていた時間も二人の間にあるものを薄められはしないと。トムはどこにも消えないとまた約束し、プロフェットはそれを受け入れる。プロフェットの指はパイル地のカーペットをかきむしり、息は荒く、ペニスは信じられないほど固い。しばらくイケる気はしないが。
彼のタマはそこのところが理解できていないらしく、ぐっと張りつめる。トムが腕を回してプロフェットの腹に精液をなすりつけ、それを使ってプロフェットの屹立をゆっくりと、気がおかしくなるくらいゆっくりとしごいた。トムの大きく日焼けした手の中に自分のペニスの亀頭が消えるのを見つめると、一気にほとばしりそうな快感がせり上がる。
それを制御して、もっと長く味わおうとした。すべてゆだねて、ほしいままにトムに奪われるのは……こんな無力さなら、大歓迎だ。プロフェットの内をガチガチに固く、力強く、トムが擦る。プロフェットの全身がドクドクと脈を打った。
「畜生が……トム——マジで凄えいいぞコレ——」
一息に言葉を吐き出す。
「マジで、凄えいいだろ、ベイビー」
トムがくり返す。いつもプロフェットが我を失った時に見せる微笑みで。
自制心なんか、トムに関しちゃとっくに失っている。だがそんなこと死んでも認めてやるか。言葉に出しては。
二度と。
「トミー……」
そして、トムは囁き返す。「リヤ」と、耳元で、切羽詰まった声で。プロフェットはぶるっと震え、途端にその声と同じほど切羽詰まっていた。
勿論、トムは見逃さない。その瞬間を選んで、プロフェットを何より激しく犯しはじめる。祈りの中で十字を切るがごとく、くり返し、くり返しプロフェットの本名を呼びながら。その名をこんなふうに響かせられるのはトムだけだ。誰からも「リヤ」なんて愛称で呼ばれたことはなかったが、ニューオーリンズで、トムはその名を呼んで自分のものにしてしまい、二人のセックスの時にはいつもそう呼んだ。まるで、自分がプロフェットを深く知っていると証明するように。まるで、プロフェットがその名を許し、トムに踏みこませた今、もう後戻りはないと知らしめるように。
プロフェットは何も言えなかった。言葉がないわけではなく、ただ口から出る声がとにかく意味不明だ。全身に刺激と官能がたぎり、トムに貫かれることだけに集中し、この一瞬、トムに奪われるためだけに存在している。横倒しのプロフェットの片足をトムが腹に向かって折り曲げ、より深く貫こうと……プロフェットはただ無力だ。片腕は自分の下敷きになってろくに動かせないし、もう片手は何か支えをつかもうとしていたが、あきらめて顔をラグに押しつけ、ただトムに完全に奪いつくされるしかない。
「トミー!」
絶頂が、さっきのオーガズムからすぐとは思えぬ強烈さで押し寄せ、プロフェットは叫んだ。数秒、ほとんど麻痺したようで、筋肉が硬直し、トムの屹立に貫かれてただビクビクッと痙攣する。
「リヤ……そうだ、ベイビー……くそっ、くっ……」
次の瞬間トムが、プロフェットに引きずられるように達し、勢いに溺れていく。コンドームごしに彼の脈動がプロフェットに伝わってくる。
コンドームなんかもうじきやめだ。もうすぐ。すぐにでも。
トムの重みがぐったりとのしかかってくる数秒、プロフェットは後でこの話をしようと心に書き留めた。腕をのばし、トムの汗まみれの髪に指をくぐらせ、ぐっと引き寄せてキスをした。トムの舌がプロフェットの口腔を征服し、彼なりのやり方で、自分が許すまで終わりではないと告げてくる。
そしてまさに、まだ終わりにする気はない。そこから先はぼやけて……トムが体を引きてプロフェットを仰向けに返し、じっくりとなめ、吸い、プロフェットの肌のすべてにふれていった。そしてプロフェットはおだやかに許し、どこかぼんやりとオーガズムのかすみに包まれていた。
もっとも、またイケないほどではない——実際イッたし、トムに口でされながらほとんどドライオーガズムのような状態で熱い絶頂を迎えた。おかげですっかりわけがわからなくなって、呻くことしかできず、強烈な快感をどうしようもない。ただ横たわり、ラグの上で生け贄のように体を開いて、トム以外のことを忘れ去った。
■2
肉体がやっと満ち足りて、すっかり落ちつくと、トムは脚の間から顔を上げてプロフェットを見つめた。
「俺がいない間、マスもかいてなかったのかよ?」
プロフェットの笑いは低く、満足しきったもので、その灰色の目もいつもの嵐のような石灰色より青みを帯びている。
「一日二回抜いてたさ、ああ」
「やっぱまだまだガキなのか、色々と」
「その通りだよ、この年寄りが」
トムはプロフェットにのしかかってまた組みしく。何の抵抗もなかった。
「言ってろよ。声も出せなくしてやるぞ」
プロフェットが弱く笑った。
「そりゃ楽しみだ」
ひどく満足げに、骨抜きになったようにぐったりのびている。どうにかベッドに運んでやらないとプロフェットをタックルで倒したまさにここで二人して眠ることになりそうだ。
二人は毎回、トムが遠くから帰ってきたり長い仕事明けの時、このゲームをやった。ジョークとして始まったものが賭けになり、今ではトムのプライドの元でもあった。
タックルした時のプロフェットは震えていたが、フラッシュバックのすぐ後だなど、まず認めやしないのはわかっていた。トムも聞きはしないが、見ればわかる程度の経験はある。だがもしあそこで、プロフェットをなだめようなどと手を止めていたら? ケツに一撃くらうのがオチだ——色気ゼロの意味で。
トムはカウチのブランケットを引き寄せた。クッションも。二人でそれを分け合い、暗がりのカーペットの上で身を丸める。
たかだか二週間の留守だったが、ニューオーリンズから戻って以来最長の不在だ。その間に何か新情報が届いたのなら、それがプロフェットのフラッシュバックの引き金を引いたというなら、今夜はまだ聞きたくなかった。
「朝までここにいるつもりか?」
「ひとさまの家の玄関先でタックルしてくるような奴に言われたくねえな」
「自分の家と思ってくつろげってお前が言ったんだろ」
プロフェットは鼻で笑ったが、その間もトムの髪に指をくぐらせている。
沼沢地を去って四ヵ月、プロフェットとトムが一緒に暮らして四ヵ月、だが二人のどちらもこの同居を永続的なものにしようとか、そんな話はしなかった。トムがいきなり住まいから追い出され、プロフェットはそんな彼を自分の家につれて帰った、そこで話は片付いた。
ここで暮らし出してから四日目に、トムは
EE社の任務に出かけた。戻ってみると、トムがかかえこんでいた十二箱ほどの荷物がすべて荷ほどきされ、プロフェットと持ち物はすっかり入り混じっていた。
当然のようなその景色に、トムはおかしなくらいの衝撃を受けた。プロフェットは手に負えないほどに抗うが、ひとたび折れると完全に、とことん優雅に、屈服を受け入れる。行動こそが、どんな言葉よりも鮮やかにプロフェットを語るのだ。
この時間が、避けられぬ嵐の——今にもやってくるだろう嵐の——前の平穏にすぎないと二人ともわかっていたが、互いに何も言わず、この暮らしの何気なさを大事にしていた。きっと、どちらにとってもほとんど初めての、普通に近い暮らしだろうと、トムは思う。その中でどちらもたまに自分を持て余しはしたが、大体はうまくやっていた。とてもうまく。
プロフェットが顔を横に向け、トムを見た。
「お前にああ呼ばれるのが、好きだ」
知ってはいても、プロフェットが口に出して認めたのは初めてだった。トムがプロフェットの本名を知ってから何ヵ月も経つが、セックス以外の時に呼んだことはない。
トムはプロフェットの鎖骨にキスをし、さっとまなざしを上げて、目を合わせた。
「エリヤが
預言者だったとかいう単純な話じゃない、お前にもその手の、俺と同じ感覚がある。ヤバいもんを予感する」
「お前と同じってわけじゃない、トミー。そう見えてもな。俺は人より早く物事に気がつく、それがキモいブードゥーっぽく見えるってだけだ」
トムは指の背でプロフェットの頬をなでた。
「俺は好きだよ。お前らしい」
プロフェットの顔がさっと赤らんだ。ひねくれた返事を返しもしない。ただほとんど照れた微笑みだけで、話題を変えてきた。
「旅は問題なかったか?」
「ブリザードまではな」
「あんなのちょっとした粉雪だろ」と小馬鹿にされる。
「三十センチはあったぞ」
「ここの裏庭に沼でも作ればお前ももっと我が家にいる気分になれるかな?」
ニューヨーク州北部の冬は、今年は荒れていた。四日間の遅延とルート変更の末、トムはやっとここに帰りついた。長い間、帰ってきたと心から感じられる場所はほかになかった。
トムはプロフェットに答える。
「もうそんな気分さ」
「書類は片づけてきたか?」
「コープがやっといてくれるってよ」
プロフェットは片腕を頭の後ろで折った。
「早く帰るような用が?」
「今さら気がついたとかな……」
着陸するとコープはトムの肩をパンと叩いて「ほらとっとと行け。俺のことはロレスが迎えに来るから、フィルヘの報告はまかせろ」と言ったのだった。
トムはその申し出を受けた。主には、近ごろの例に洩れず、今回もごく単純な任務だったからだ。短期の、大物ビジネスマンのボディガード、いつも通りのルーチンワークで、何のトラブルもなし。対象人物が女を引っかけてきたところに愛人が押しかけてきた件は別にして。
トムとコープがその場をとりなした後、結局男は、女たちと三人で楽しんでいた。
今、のびをしたプロフェットの肋骨を、トムは指でたどる。ここ最近で一番締まった体をしている——戦いに臨むプロボクサーなみにせっせと鍛えていたせいだ。ジョン・モース絡みである以上、状況はそれと大差ないだろうと、トムは思う。トム自身、そなえようと機会あらば己を鍛えてきた。
プロフェットを一人で戦わせはしない。
「お前がいないと、いつものEE社じゃない。皆そう言ってるよ」
こんな話をしたいかどうかトム自身にもわからなかったが、口から出てしまったからには——。
「お前に戻ってきてほしいんだと思うよ」
「コープが?」
「わからないふりをするな。フィルのことだって、知ってんだろ」
プロフェットは眉を寄せた。
「余韻を味わってる最中に
海兵隊員のことなんか考えたくもねえな」
「来いよ……ベッドへ行こう」
トムは半ばプロフェットを引きずり、またイカせてやるからという約束で釣って寝室まで歩かせた。勿論、プロフェットは頭が枕についた瞬間、ことんと眠ってしまったが。トムは何か食べるものをあさりに行って、ターキーサンドとチップスを手にベッドへ戻った。
ナイトテーブルに皿を置くと、隅の窓辺に何かの影が見えた。近づき、いくらかの砂をすくい上げる。
手のひらの砂を眺め、トムは洋服ダンスの上にある箱の周囲に砂が散らばっていたことがあったのを思い出した。プロフェットがまたあの箱から何か取り出したのか。
立ち上がり、箱のところへ行くと、トムは手のひらの砂をそっと、あるべき場所へと払い落とした。
■3
一回目の呼出音で、プロフェットは携帯を引っつかんだ。動いたせいで上にかぶさるトムがもぞもぞして何か呟いたが、完全には目覚めない。プロフェットは真夜中の電話には慣れていた。大体はマルやキングからで、情報をよこしたり定時連絡を入れてくる。
だが今回は、ザックだった。
プロフェットの最初の上官は、「どうした?」と聞かれるやいなや一気にまくし立てた。
『お前の力が要る、プロフ。ディーンがまずいことになった』
闇の中でプロフェットは窓の外を見つめた。ぼってりとした雪片が舞い落ち、眼下の道はすでに白く、静まり返り、トムの寝息が胸に温かくかかる。これは現実だ。
「全部話してくれ」
大尉は話した。すべての問題を聞いてから、プロフェットは告げた。
「二十四時間でそっちに行く」
電話を切ってからも、少しの間、闇の中で横たわっていた。
二日前、LTの夢を見たのだ。先週も数回。きっと、昔の隊員たちとメールばかりでなく定期的に話すようになったせいだと思おうとしてきた。癒えることなどない古傷に近づきすぎているせいだと。
だがトムの——そしてこいつのブードゥーの——そばにいる間に気付いたが、プロフェット自身の直感も、この一年で強まってきている。そしてプロフェットの人生では、ぞっとするような偶然が、時に平然と起きる。天上の誰かさんの冗談のように。
また同時に、少しずつ見えるようになっていた——自分がどれほどの過去を抱えこんでいるのか、そしてわずかでも安らぎを望むなら、その過去をほどいていくしかないのだと。だから、トムに踏みこませた。トムが箱のまま放置してきた荷物をまず物理的にほどいたのもそのひとつだ。腰を据えろとトムに強いるために。なにしろ、他人をうまく受け入れられないのはプロフェットだけではない。
実際、トムの所持品をほどいたのは自分よりトムのためだった。プロフェットにとって、トムはもう至るところに住みついているのと同じだ——プロフェットの家に、部屋に、心の中に。そしてプロフェットにだって、幽霊を手放す頃合いだということくらいわかっているのだ。たとえ、自分のためにはもう手遅れでも。
トムの護衛仕事や他の任務については、二人のリズムは出来上がっていた。連絡が来るとトムはコープと出かける。プロフェットは、トムに何かあれば無事じゃすまさないとコープを脅す。コープは失せろとプロフェットに言い返す。そしてトムが不在の間、プロフェットはひたすら人生最大のミッションの計画を練ってすごす。なにしろ、ごく精巧な罠で、トランプの城のように脆いそれをガッチリ固めていく必要があった
ある日、帰ってきたトムの手首、プロフェットとの初任務以来ずっとつけていたブレスレットの下に、タトゥがひとつ増えていた。まさに、ブレスレットをそのまま肌に彫りこんだようなタトゥ。
「俺からは二度と誰にも外せない」
プロフェットが口にしなかった問いへの、それがトムの答えだった。この男はニューオーリンズで拘留された時やむなくブレスレットを外し、その後もプロフェットがはめてやるまで待っていたのだ。
迷信深いブードゥー野郎が。
だがたしかに、トムに見えないよう、プロフェットはこっそりと微笑んでいた。タトゥの存在を知ってからは、舌でそれをたどり、歯を立て、トムに痕を残し、自分の思いを曇りなく示そうとした。
いつかトムがほかのあれこれに気付いたら——プロフェットの目や隠しているほかのすべてに——彼は去っていくかもしれないが、その時はその時だ、心が引きちぎられてもいいとあきらめていた。もう一度。今回は、前よりひどいだろう。ずっとひどい——前より深く知り、深く感じ、深く愛したから。
プロフェットの会話の響きが変わったことに、すぐさまトムは気付いた。半ば眠っていてさえ、いつもの情報交換の会話と緊急事態との差は分かる——そしてプロフェットの口調は後者のものだった。
ベッドからすべり出したトムがリビングへ向かうと、プロフェットは窓辺に腰かけ、動かず、外を見つめていた。トムのほうを見もしなかったが、気付いていないわけがない。
何も聞かず、トムはただキッチンへ行ってコーヒーを淹れた。必要になるだろう。マグにコーヒーを注ぎ、プロフェットのマグには何トンもの砂糖とミルクを入れた時、かたわらにプロフェットが立った。マグに手をのばし、トムの裸の肩に無精ひげの頬を擦り付ける。プロフェットはよく、色々な部分にこういうことをやった。頬ずりをしたり、嚙んだり、トムにマーキングするのだ。ほとんど無意識ではないかと、トムは思っていた。
自分のコーヒーを一口飲んだところでトムの体がカウンターに押しつけられ、背中にぴたりとプロフェットの胸板が合わさる。この数週間であまり眠れていないが、今やすっかり覚醒していた。
プロフェットがようやく言った。
「俺は、ジブチ共和国へ行かねえと」
「次の段階か?」
プロフェットが鼻を鳴らし、体が離れたので、トムは彼へ向き直った。
「違えよ。俺の昔の上官からの頼みごとさ。やっぱり元SEALsの弟が、何年もジブチに住んで仕事をしてるんだ。そいつが誘拐された。LTはもう身代金を持って現地に飛んでる」
そこで言葉を切り、つけ足した。
「で、違う、これはジョン絡みの件じゃねえよ」
「確実か?」
「LTの引退はあの任務より前だ。弟のディーンも、俺とジョンが入隊するより前に」
プロフェットの携帯が、メッセージ着信の音を立てた。いくつかキーを押してから、また顔を上げてトムを見る。
「一緒に来てくれるか?」
その顔は真剣そのもので、まるでトムが断るかもと、本気で考えているようでもあった。誘われようが誘われまいが、トムが同行しないとでも思うのか。
その上、こんなふうにたのまれて? もうそれですべてだ。
「俺たちはいつ発つ?」
プロフェットは小さな、ほとんどはにかんだような笑みを浮かべ、ひょいと下を向いてさらにメールを打ちこんだ。
「二時間後」
「もしジョン絡みだったとしても、俺の返事は同じだったぞ」
「わかってるよ」
何とか飲めるほど冷めてきたコーヒーをトムは数口で素早く飲み干し、もう一杯マグに注いだ。
「俺はざっとシャワー浴びてくる」
プロフェットは携帯を見たまま答えた。
「俺も行く。ただ、まずフィルに連絡しとけ、な?」
「わかった。事情は話していいのか」
チラッと、プロフェットが目を上げた。
「フィルも知ってる相手だ。ああ、かまわねえ」
「どうしてLTが自分のほうにたのんでこないのかとは思われないか?」
プロフェットの目がじっとトムを見た。
「思わねえよ」
なら、いい。トムは廊下へ、プロフェットにタックルした時に放り出したままだったバッグを取りに行った。フィルが電話に答えるのを待ちながら床からブランケットとクッションを拾い上げ、カウチにのせると、バッグの中の着替えを取り替えに寝室へ持っていった。
『話せ』
フィルが怒鳴った。いつもの挨拶だ。とは言え、早朝五時ではいつもより荒っぽい。
「トムです。プロフェットと、ひと仕事しに出かけます」
長い沈黙があった。
『誰のトラブルだ?』
「ディーンという名の男で、プロフの昔の上官の弟?」
フィルはいくらか悪態を吐き散らし、それから命じた。
『説得しろ、行かせるな』
ほう、情のかけらもなしか。
「本気か、フィル?」
『冗談に聞こえたか? お前はあいつに影響力がある。それを使え』
ほんの一瞬、トムは目の前で布を振られた雄牛の気分がわかった——さっと視界が赤く曇り、電話を壁に叩きつけてやりたくなる。深く息を吸い、歯を食いしばって言い返した。
「俺たちは、行く」
フィルがまた悪態をついた。
『せめてディーンを助けた後、LTがそれ以上プロフェットに何もさせないようしっかり見張っとけ。そのくらいあいつのためにしてやれるだろう、トム?』
そこで電話は切れた。トムの返事を聞く気はないらしい。結構、聞いてもどうせ気に入るまい。フィルは、プロフェットと同じく、トムがあれこれ言わずに命令に従うものだと考えている。大体プロフェットをつれ戻してくれとトムに頼んできたくせに、フィルはまだプロフェットの秘密を明かそうともしない。
プロフェットは、九ヵ月前にEE社を辞めた。それからの様子を見ても、復帰する気はさらさらないらしい。戻ってほしいと、フィルがどれほど願おうが。まあトムだってEE社への残留を承知したのは、訓練を積んでプロフェットにとってもっといいパートナーになるためだ。たとえこの先二人がどんな道を、どんな仕事を選ぼうと。ジョン絡みの厄介をすべて片付けた後で。
プロフェットがEE社を辞めたのが良かったのか悪かったのか、それはまだ結論待ちだが、トムにはそれはどうでもいい。細かいことはかまわない——この道を行くことさえできるなら。これまで起きたことすべてが、プロフェットとの人生の一部だ。その道筋、そして次への一歩。その一秒たりとも失う気はない。
現状、すべてが終わった後、トムがEE社に戻るかどうかもかなり微妙な問題と言えた。
シャワーに向かい、目が冴えるほどの冷水を浴びる。ジョン・モース絡みについては、マルやキリアンの動向は把握できているし、目下のところはLTの弟に集中してもいい。
誰かへの忠誠心から行動するプロフェットを見るのは、時に痛々しくもあった。どうやら、フィルにとってもそうなのか。
何分かした頃、プロフェットがガラスドアのシャワーブースに入ってきた。すでに頭が計画モードに切り替わっているのだろう、気もそぞろに石鹸を取り損ねていた。三回も。しかもそのまま素手で胸を洗い出したものだから、トムがその手をどかして水温を上げ、石鹸を泡立ててやった。
これは——シャワーを一緒に浴びて、プロフェットの心が別にある時に世話を焼くのは、いつものことだ。ルーティン。トムなりにこうしてシャワーでプロフェットを落ちつかせていると思うのが好きだ。そしてこんな時、トムの手はそう優しくはない。プロフェットをごしごし洗うのも、また一種の、そっけない前戯。それにプロフェットが計画を練っている時のこの様子はよく理解できたが、こうさりげなく壁を作られると、どうしてもトムに対して一線を引いていた頃のプロフェットを思い出してしまう。
「フィルが、俺に好きに休みを取れと」
プロフェットの髪をすすぎながら、トムは軽い嘘をつく。
プロフェットが鼻で笑った。
「あいつは、俺にお前をぴったりくっつかせてできる限りLTに近づけないとか、行くなと説得させたいんだろ」目を開ける。「それと、違う、盗み聞きしたわけじゃねえ。でもな、まあバカでもわかるこった。特に、お前の任務があれだけ短期で楽なもんばっかときちゃな」
トムはムッとする。
「楽?」
「国際的な紛争地帯での戦闘任務ってわけでもねえだろ」プロフェットが指摘した。「閃光弾やグレネードも使わねえ。それ抜きでマジな任務と呼べるかよ」
そう、プロフェットは相変わらずムカつく男のままだ。正直、ほっとしそうなくらいに。
してやらないが。
「なら俺をつれてくのもやめたらどうだ。お前の荷物運びをさせたいだけか」
「お前にはそれくらいがお似合いかな?」
トムはふうっと息をついた。
「お前、わざと俺を苛つかせてるだろ。何か魂胆が?」
「ある」温かな、広げた手がトムの胸に置かれる。「だからあきらめとけ、トミー」
「任務前のお前が根性悪だってことをか?」
「そうだよ」
プロフェットの目に、トムにも見覚えのある危険な輝きがともる。
プロフェットの相手をするのは、手榴弾や対人地雷への対処とそれほど大差ない。正しいところで圧力をゆるめ、正しいところで強気に押しきらなければ、こちらが爆死する。
もっとも、プロフェットのほうだってきっと、トムの相手も変わらないと言うだろう。
「そりゃよかった。そうでなきゃお前が本物かどうか疑うくらいだ」
プロフェットは鼻を鳴らし、そしてそれきり、二人は平常運転に戻った。
■4
プライベートジェットのおかげで空港のセキュリティを通らずに歩きながら、トムはたずねた。
「お前のコネか?」
プロフェットが首を振る。
「LTのさ。もっとも、充分な距離まで飛んでってはもらえねェがな。人目を引かないように、目的地へは延々、車で行くぞ」
「飛行中に細かいことは話してくれるんだろ」
「お前がひと寝入りした後でな」とうなずいた。「お前、どうせこの六日間ほとんどぶっ続けで働いてたろ?」
大体当たりだが、プロフェットこそろくに寝てないだろうと言い返したい衝動を、トムはこらえた。かわりにうなずいて、とりあえず波風は立てない。何と言っても、プロフェットから学ぶことが山ほどある。あらゆる意味で。山ほど。そしてトムは学ぶ気だった。教師としては、プロフェット以上の相手などいない。
二人は自家用機専用の駐機場へ向かった。エコノミー席のフライトよりはるかにありがたい。武器を持ったまま乗れるのもいい。
プロフェットは、どうやら武器庫持参だ。肩に二つ、大きなバッグを無造作にかついだ彼が人波を軽々と抜けていくと、カチャカチャと音が鳴る。先に行くにつれ人の数は減り、急ぎ足のスーツ姿たちをやりすごしながら、トムは自分があの一員でなくてよかったと思う。
二人が小さな飛行機に乗りこむと、現れた機長がタックルのようなハグをプロフェットに浴びせた。
「よお、会えてうれしいよ」
プロフェットが微笑む。
「ミッチ、こいつはトムだ。ミッチが軍にいた頃、合同作戦で何回かつき合いがあってな」
海軍のパイロット。納得だ。
今度はやたら細い男が、首をひょいとつきだした。
「よっ、プロフェット」
「どんな調子だ、ジン?」
「問題ない、すぐ出るよ」ジンが保証する。「あらゆる事態に対処できるか確認してるだけさ。どんな突発事態でもいいように」
最後の一言は気軽に放たれた。あまりにも当然のように。プロフェットも前に似たようなことを言っていたと、トムは目を向けたが、プロフェット当人は「普通の空の旅って感じじゃないな」とトムに言われても空々しく眉を上げてとぼけるだけだった。
ミッチがプロフェットの肩をばんと叩く。
「心配すんな、トム。これが初めてってわけじゃないさ。届けを出して飛んでるわけじゃないからたまに着陸がややこしかったりもするが、ちょいと余分に準備してりゃそこもうまくいく」
ミッチが機外へ出ていくと、トムはプロフェットにつめよった。
「お前だな、お前のせいだな?」
「俺? 俺たちの旅に面倒を呼んできたのはてめェだろ、ブードゥー」
「俺のせいだって思わされてきたけどな。でも、もしかして、ずっとお前が原因だったんじゃないのか?」
トムは、二人で乗った飛行機での出来事を思い返していく。心臓発作すれすれの乗客が一件。次はエンジンの失速——離陸滑走路を移動中に。加えて手配された次の便にいた、飛行中に取り押さえられたほどへべれけの乗客……。
ジンが二人のそばを抜けた。
「プロフェットのそばじゃ、どんなことだって起きんのさ。タイヤが外れる——言っとくがパンクじゃないぜ、転がってったんだ。翼から着陸装置が吹きとぶ。機内をアヒルが歩く。ほら、色々さ」
「アヒル?」
トムが聞き返すと、プロフェットがうんざりしたような溜息をついた。
「あれは俺じゃねェって、わかってんだろうが」とジンに言う。「あのアヒルがどうやって乗ってきたかなんて俺が知るかよ」
トムは呻いた。ずっとこれまで、自分こそが災厄の元だと思ってきたのだ——その間ずっと、隣にはしゃべって歩く諸悪の根源がいたというのに。死の天使の生まれかわり。
「ってことはつまり、もしこの飛行機が空から落っこったなら……」
「こいつのせいだろ」
ジンが言いながら、ぐいとプロフェットを指す。全員が話を切り、やって来た男が入り口にドサッとパラシュートを下ろしてから敬礼して去っていくのを見つめた。
「あれが念のためってやつさ」
「冗談だろ?」トムはジンのほうを向く。「マジで言ってないよな、まさか?」
「残念ながら、マジだ。でも心配するな、これまで二回しか使ってねえ」
プロフェットがそう言いながらトムを座席の方へつれて行った。シートが向かい合わせに四席一組で配置されている。プロフェットは窓際に陣取ってトムを隣に座らせた。これなら向かいの席に両足をのせられる。
「あのな、俺は飛行機から飛び降りたことはないんだぞ」トムはその点を強調する。「とにかく、FBIアカデミーからこっち」
「あいつらお前ら半人前に何教えてんだ?」プロフェットが聞き返す。「まあいい。俺にひっついて飛べばいいさ。前の相手もそうやって飛んでやった」
「誰もお前のパートナーになりたがらないわけだよ」
プロフェットがせせら笑った。
「やりゃ気に入るって。とにかく丁度いい高度まで来といて非常扉から飛び出すのはヤダとかゴネんなよ」
正直、そうしたい。だがトムはぼそっと「クソが」と、とにかくプロフェットに向けて呟き、シートにもたれて目をとじた。ミッチが「四分で離陸」と報告する。
トムはシートベルトを締め、イヤホンを着けた。曲のボリュームを上げて思考をしめ出したが、離陸はスムーズで順調だった。巡高高度に達するとシートベルト着用ランプが消え、二人ともさっさとベルトを外したが、途端に機体がぐっと右手に傾いてトムの体はプロフェットに叩きつけられた。プロフェットがトムの肘掛けをつかんで、二人してシートから投げ出されるのを防ぐ。
コクピットでげらげらと笑っている声がスピーカーから流れてきた。
「笑えねえぞ、ミッチ!」とプロフェットが怒鳴る。
「この辺じゃお楽しみは自分で作るしかねェからな」
ミッチが怒鳴り返す。トムはきっぱり言った
「お前ら全員イカれてる」
「同意だ」
ジンが通りすぎながらそう言ってトムにクッションを投げた。プロフェットのもくろみ通り、トムはあっという間に眠りに引きこまれ、八時間後、目を覚ました時にはかなりすっきりしていた。
「よお、眠れるお姫様。腹減ってねえか?」
プロフェットに聞かれる。トムは両手で髪をぐしゃっとかき混ぜた。
「食いたいね、ああ。ちょっとだけヘルシーなやつを何か」
「何か食いもんあるか?」
プロフェットが大声で前に聞く。
「どこ探しゃいいかわかってるだろうが」ジンが怒鳴り返した。「俺はスチュワーデスじゃねえぞ」
「最近じゃキャビンアテンダントって言うんだぞ」
教えてやってから、プロフェットは
調理室にのりこんでいった。しばらくガサガサ、ドタンと騒がせた挙句、ドーナツ、炭酸の缶、ベーグルを持って戻り、トムにそれを放り投げてきた。
「ヘルシーなやつって言ってたからな」
「これがお前にはヘルシーか?」
「ばっちりだ。何つってもバター抜きだぞ」
プロフェットはもっともらしくうなずいてみせる。また去っていくと、今度は自分とトムにコーヒーを持って戻った。二人で食べる間もプロフェットはノートパソコンに地図を表示させ、ルートを引いていく。すでに何時間もやっていたようだ。脳内で。そして紙の上で。
「誘拐した犯人とその目的は、見当ついてるんだな?」
やがて、トムはそうたずねた。
プロフェットが陰気にうなずいた。
「反乱軍。金目当て。奴らの新しい商売ってところさ。大物に手を出さなきゃ政府がのり出してくることもねえ、家族はいくらでも払うって知ってんのさ」
トムが身じろぎし、楽な体勢に戻ろうとする二人のブーツが軽く当たった。
「向こうは、ディーンが元軍人だって知ってるのか?」
「その情報は表に出てねえと思うな、ああ。だがLTとディーンの家は本物の金持ちだし、そっちは隠すのが難しい。ディーンの財団は家族が金出してるからな。ディーンはその財団の顔として、あちこちで講演してる。その上、時間を見つけちゃ財団所有のクリニックに顔も出してる」
プロフェットはコーヒーをふうっと吹き、何口か飲んだ。
「パーフェクト。丁度いい甘さだ。お前のもだぞ——飲んでみろよ」
トムは自分のコーヒーを見つめた。コーヒー入りの砂糖、というところだ。
「それで、ディーンはいい標的だったと。ボディガードは? どうしてEE社にたのまない?」
プロフェットは首を振った。
「ディーンとLTは、軍を辞めたばかりの奴を雇うのが好きなのさ」
「で、そいつらがしくじったと」
人選は考え直したほうがよさそうだ。
プロフェットは手を——ドーナツを持っているほうの手を——振り回し、当然のようにあたりに粉砂糖が舞いとんだ。
「一人は殺されて、一人はディーンと一緒にさらわれた。反乱軍がディーンに目をつけた時点で、もう大して手の打ちようはねえよ。聞いたところじゃ、向こうは大勢で、その場の全員の命が危険だった。最初の撃ち合いの後、ディーンは逆らわずに同行した。反乱軍のほうも、病院や建物にはそれ以上手出しせず引き上げた」
トムはうなずき、自分のコーヒーをプロフェットに渡す。プロフェットはたちまちその半ばをごくごくと流しこんだ。
「LTのところに身代金の要求が入ったと言ってたな?」
「ああ。彼は別の飛行機で、直接ジブチに入る。向こうもそれでLTと金の動きが追えるってわけだ。俺らは時間差で入る」
プロフェットはじっと考えこみながら咀嚼していたが、全身はほとんど実際、震えている。ここから四時間の旅を、それどころか次の一時間さえ、この調子でどうのりきっていく気なのかトムには理解不能だ。
彼らの機は夜中の着陸予定で、場合によっては余計な注目を引きかねない時間だが、プロフェットには計画があった。ディーンが監禁されている場所の航空写真もある。数時間、トムはその写真を見つめ、プロフェットがルートを指し示した。二人で武器について話し合った。戦略について。様々な行動パターンについて。予想外の事態について。
「LTは自分が仕切ろうとするだろうが、そうさせる気はないからな」
途中で、プロフェットはそうトムに伝える。
「個人的感情が入るから?」
「しばらく現場から遠ざかってもいる」と説明した。「彼は
頑固になるだろうがな。可愛くないほうの
熊にな」
トムは眉を上げる。
「
親父タイプが好きだとは知らなかったな」
「言ったろ、俺は意外性の男なのさ」
小馬鹿にした顔で見やり、トムは「サプライズならこっちも負けねえぞ」と呟いた。
「期待してるよ」プロフェットがふっと真顔になった。「お前、今、不安か?」
「ああ」
「よかった。俺もだよ」
シートによりかかり、目をとじて、プロフェットはすぐさま眠りに落ちた。見事な訓練ぶりに、トムは感心させられる。それと、プロフェットがどれだけわずかな眠りしか要さないかに。かつてトムの先輩、オリーがくり返し教えようとしてくれたが、どうしてもトムは深い眠りに入ることができなかった。プロフェットも教えると言ったが、今のところトムは断ってきた。
そこで、グーグルアースの地図をじっくり眺め、また空港からホテルへの迂回路のルートを引いた。このホテルから、LTのところへ向かうのだ。
プロフェットはLTの話はあまりせず、ただLTとディーンに多額の財産があること、それが公開情報であることは話した。身代金を払ったところで泥沼になりかねないことは誰もがよくわかっている——次の、さらに高額狙いの誘拐の呼び水になりかねないと。
ディーンには二人しか護衛がついていなかったとも、プロフェットは言っていた。今さらその不備を指摘したところで正論には遅いし、トムは何も言わなかった。だがどう考えても二人で足りたわけがない。そもそも、財産があるなら護衛を雇う金が惜しいということもあるまい。こちらの人数を見せつけるだけで、この手の誘拐を事前に防ぐことだってできたかもしれないのだ。だが、そんなことくらいLTだって充分認識していただろう。
一瞬、LTのこういう杜撰なところがフィルがああもLTを目の敵にする理由なのだろうかと、トムは思う。それとも、もっと根深いものがあるのか。
「お前の脳ミソがきしむ音が聞こえるぞ」
プロフェットの声は、起き抜けでざらついていた。のびをして、それからどけと言うかわりにのしのしとトムを踏みつけて通路に出ていく。戻ってきた時にはコーヒーを二つ手にしていた。
また踏まれる前にと、トムは席を立つかまえでいた。だがそれより早くプロフェットから熱々のコーヒーを手渡され、やむなくカップのパランスを取りながら、乗りこえていくプロフェットをおとなしく見ているしかなかった。
勿論プロフェットと斜向かいの席に移ってもいいし、それで丸くおさまる話だが、例の“部屋にこっそり入って相手を転がす”ゲーム同様、これもお互いの遊びのひとつだ。たとえ火傷の危険とセットでも。
「じゃあお前は、LTの縁でディーンと?」
「ああ。ディーンが除隊してからだけどな。俺が入隊して一年くらいの頃か」
一口コーヒーを飲んで、トムは今回のコーヒーが自分の好みぴったりなのに気付く。まったく、この男に殺意がわいた頃に、こんな可愛い真似を……。
「ディーンは、ジョンのことも知ってたか?」
「いいや。二人は会ったこともねえ」プロフェットは、トムが分析していたグーグルアースの画面へちらりと目をやった。「FBIでこの手の件の担当は?」
「何件か」
誘拐犯がどれほど頭の回る相手か見きわめるためには、捜査側の機転や判断力も要される。
「嫌な終わり方をしたことは?」
「一度な」トムは認める。「だが、誘拐された女性にとってじゃない」
「パートナー?」
「ああ」
プロフェットはひとつうなずいた。
「そいつに警告は?」
「した」
プロフェットの視線がトムの腕をなぞり、タトゥを隠すブレスレットで止まった。
「俺はそのパートナーとは違うぞ、トミー」
「毎度毎度それを言うつもりかよ?」
「言って聞かせる必要があるみたいだからな。てめえは、そろそろ“パートナーを殺しちまうのがボク怖い”のレベルは卒業できたかよ?」
「お前は本当に根性悪だよ」とトムは呟く。
「お前はいつまでもそいつに慣れねえよな。だからお似合いだ、だろ?」
「お前を殴るかキスするか迷うね」
「大体は両方やるのが正解だ」プロフェットが忠告してくれた。「ま、お楽しみはとっといたほうがいいかもな、今は」
そろそろ降下開始だ、スピーカーからのミッチの声によれば。だがトムはプロフェットの上腕にさっと強い一撃を叩きつけると、顔を引っつかんで引き寄せ……無茶苦茶にキスをした。シートに押さえつけ、腰を擦りつけて……二人とも、シートベルト着用までろくに時間がないのはわかっていた。
荒々しく、熱っぽく、押しつけた腰を揺すって、次の瞬間にはどちらも自分のズボンを引き下ろしていた。トムは互いのペニスをまとめて握りこみ、一気にしごく。プロフェットがのばしてきた手で性器のピアスをひねられると、トムは一気に達していた。プロフェットもすぐ続き、震えながら、トムの唇の中に何か囁く。二人とも一度もキスをやめていなかった。
トムは息をつこうと、わずかな隙間を作る。二人はそのまま、額を合わせ、喘いだ。微笑みながら。
たしかに、とトムは思う。プロフェットにいつまでも慣れないのは、いいことなのかもしれない。
--続きは本編で--