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「でも、約束なさいました」
クリスは頑固に繰り返す。
リアンは聞こえないふりで、何か用でもあるみたいに席を立った。クリスは追走式掃除機のように、しつこくついてくる。
くるくるとかわすうち、リアンはいつのまにか、事務所の隅のミニキッチンに追い詰められていた。
「ああ、もう」
額をぺちっと叩き、向き直る。クリスは理路整然と食い下がってきた。
「僕の首を切るときに、リアンはおっしゃいました。『再起動したら話してやる』と。しかしすぐ、負傷して入院されたので、僕は『お元気になったら聞かせてください』と要望しました。リアンも了承したはずです。今、リアンはすっかりお元気です。約束を果たしていただく時が来たと理解しています」
督促状のような言い草に、リアンはぶち切れた。
「約束、約束って、いい加減にしろ! 頭の固いヤツだな!」
クリスは真面目くさって返してきた。
「はい。チタン合金でできていますから、強度は十分です」
「だから、そういうところが──」
言いかけて、リアンは赤毛の頭を掻きむしった。
天才少年科学者・リー博士を守って暗殺者と戦ったリアンは、腹部を刺されて重傷を負った。その傷も癒え、博士から貰い受けたクリスを連れて、ダラスの事務所兼住居に戻ってきたのは、つい先日のことだ。
そして今日、今後は経理を任せようと、これまでの帳簿ファイルをクリスに見せた。クリスはあっという間にすべてを把握し、その不備を衝いてきた。
「今回の成功報酬は、僕のボディと相殺されたのですから記載がないのはいいとして。二万ドルの前金はどうなったのですか」
いきなり追及され、リアンはへどもどした。
「……ええと、車を買い換えたし……」
「しかし、新車ではありませんね? 領収書によれば、五千ドル足らずです。残りは?」
おまえは税務署の回し者かよ、とリアンは毒づいた。
クリスは無表情に答えを待っている。腹を立てたり反発したりしないだけ、対処に困る。
リアンはしぶしぶ白状した。
「前の仕事の失策を、一万五千ドルで弁償したんだよ」
生命を持たないガラスの瞳が、きらっと輝いた。クリスはぐっと身を乗り出してきた。
「それは例の、イキモノに懲りたという件ですか?」
そして今、リアンは敗色濃厚なボクサーよろしく、コーナーに追い詰められているというわけだ。
リアンは観念した。納得のいく答えを得るまで、この融通の利かないロボットは、自分を解放してくれないだろう。
ため息をついて、のろのろと「所長席」に戻る。クリスはいそいそと自分の椅子を持ってきて、正面に陣取った。
「『サーモ・ラット』という動物の輸送を頼まれてな……」
それは、学術研究のために開発された新種のネズミだった。
気圧や温度の変化に弱い貴重な新種を、飛行機の荷物室には入れたくないと、相手は運び屋に陸送を頼んだのだ。
雌雄十匹ずつのネズミは、二つの強化プラケースに分けられていた。リアンはそれを、緩衝材を敷き詰めたトランクに入れ、二千キロの長旅に出た。
旅は平穏だった。
輸送品は大人しくケースに収まっていて、うるさくしゃべりかけてきたり、勝手に迷子になったりはしないのだから。
しかし、途中のスタンドでトランクを開けたとき、リアンはふと不安にかられた。ネズミたちが静かすぎるような気がしたのだ。
『生きてんのか、おい』
ケースを持ち上げてカタカタと揺すったとたん、ぱかっと蓋が開いた。慌てて落とした拍子に、置いてあったケースまでひっくり返ってしまった。
トランクの中をちょろちょろと逃げ惑うネズミたちを、さんざんに噛まれながらも、何とか無傷で回収したのだったが……。
「そんとき、雄と雌が混ざっちまったんだな。後でクレームが来たよ。二匹が腹ボテに」
リアンは咳払いして言い直した。
「妊娠してたんだと」
「繁殖したということですね? しかし、数が増えたのですから、客にはかえって喜ばれたのでは」
クリスはちょっと考えて、的外れなたとえを持ち出した。
「自動車が交尾して繁殖するならば、経済的かつ省資源でしょう?」
リアンはうっかりそのさまを想像してしまい、うえっとなった。
「気色の悪いことを言うなよ……」
遺伝子研究のためのものだから、計画的に繁殖させる必要がある。悪いことに、この種はいったん交尾すると、ほかの相手は受けつけなくなってしまう。だからその雌たちは、研究対象から除外せざるを得ない。
法外な賠償金を吹っかけてきた相手の言い分をそのまま伝えると、クリスは考え込んだ。
「生物には、抗いがたい繁殖の本能があるのですね。しかも、同種でさえあればよいというものでもない。いったい何が、彼らをそんな情動に駆り立てるのでしょう」
そこでふと思いついたように、
「リアンには、いないのですか? 繁殖行動をともにしたいような相手が」
真顔で言う。
リアンがへどもどしていると、クリスは天真爛漫に追い打ちをかけてきた。
「ああ、まだ繁殖できるほど成熟していないとか?」
これにはたまらず、リアンは嫌味たっぷりに言い返した。
「イキモノはこりごりだが、頭が固いくせに底意地の悪いロボットなんて、もっと始末が悪いぞ」
「──では、返品なさいますか」
出会ったころのような抑揚のない声だった。
見返してくる顔も初期設定の無表情に近いが、その瞳はもの悲しげに翳って見えた。
リアンは思わず大きな声を上げた。
「バ、バカ、返すわけないだろ!」
そして、自分のうろたえようが恥ずかしくなり、弁解がましく付け加えた。
「だって、もう看板も書き換えちまったんだぜ。キャリヤー/リアン&クリス。どうだ、クールだろ?」
「リアン&クリス」
少年型ロボットは復唱して、首をかしげた。
「クールというよりホットに感じます……不思議なことに。『&』という接続詞に、そういう機能があるのでしょうか」
リアンはすっかり機嫌を直し、にやにや笑いながらクリスの肩を何度も叩いた。
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